新海誠、2022年、KADOKAWA
11月11日、劇場公開!本来ならば映画を初見で楽しむところですが、今回は先にノベライズを読んでみました。
おそらくこの小説版は『君の名は。』や『天気の子』のそれと同様の、映画の内容に忠実なものだろうと予想します。
だとすると、小説→映画の順でふれた方が、(映像や音楽の分)確実に情報量が増えて二度美味しいだろうと思いました。
目次がすでに特徴的。 少し目にしたビジュアルからは『星を追う子ども』のような印象を受けたけど、目次から一番感じるのは『雲のむこう、約束の場所』っぽさ。
一日目
モノローグで始まるのは良いな。9月。今度の舞台は宮崎なんだ。
過去作の要素を随所に感じるのだけど、これはどこまで意識的にやっているんだろう。
モチーフが似ているのかな。こういうのを作家性と言うのだろうか。
岩戸鈴芽。ミミズ。宗像草太。喋る猫。
椅子になったイケメン萌え……?
「喋って動く椅子」のおかしさは文章よりも映画の方が分かりやすそう。
よく分からないまま巻き込まれる形で宮崎を離れた。
これからどう面白くなっていくのか。
二日目
愛媛。動く椅子をフリーにしておけるリアリティ。さすがにSNSでは見つかってた。
でも、動く椅子が拡散されるのはまだしも、はた目には普通の猫がこのスピードで拡散していくかな?
子ども用とはいえ椅子をずっと持ち運ぶのはしんどそう。
ミミズ周りの想像が難しいな。映像で見てからだと多分簡単なのだろうと思う。
ミミズは、地震の原因を説明するナマズのような意図で描かれてるのだろうか。
重いものが落ちてきたら地面は揺れる、というのは理解しやすい。
廃墟にかつていた人々を思い浮かべる。
環さんは叔母だったか。アラフォー。
三日目
心配して服とバッグまでくれるなんて、千果ちゃんがいい子すぎる。
よその車って知らない人の匂いがするよなー。
たまたま神戸に行く人に拾われるなんてラッキーだな。愛媛から淡路島を通って神戸まで。
育児パートが面白かった。
稔さんに脈がなさすぎてかわいそう。
スマホから口座を確認すれば居場所を推測できるのは現代だ。
独特なタイトルだから何かテーマがあるのだろうと思っているけど、景色の喪失がそうなのかな。
鍵がかかる瞬間は、きっと映像とガチャンという音があれば気持ちいいんだろうな。
「大事な仕事は、人から見えない方がいい」に何かメッセージを感じる。
四日目
「見えるけれど、関われない風景たち」。この小題は特に好きだな。
宮崎に住んでるなら、新幹線に乗る機会は無いだろう。むしろ「数えるほどにはあるんだ」と思った。
車窓からも色々な風景が見える。
やっぱりここが一番のキモなんじゃなかろうか。
目に見える風景のほとんど全て、関わることができなくて、それでもその中で自分以外の人間は生活している。
でも、この心中での驚きは映画でどう表現されるのだろう。
まだクライマックスとも言えない段階で、こんなにしっとりとモノローグを入れられるだろうか。
要石は日本で二つだからって、端の方になくてもいいんだ。なぜに東京と宮崎。
新海さんは「災害」にかなり関心があるのかな。
確か『君の名は。』のときに被災地を訪れたという記事があったし、『天気の子』も異常気象や水害と密接だった。
言い換えれば「(客観的にも)世界が変わってしまうような出来事」かな。
傍目にはただの飛び降り自殺をする少女だ。
鈴芽の草太に対する感情は何?イケメンだから?罪悪感?
草太の方の感情も分からない。
五日目
ええ……鈴芽それは。後ろ戸を開けちゃダメだよ。
まだ出会って五日目だぜ。何をそこまで草太に感じているんだ?
傷口の小石を取る描写が痛々しい。この世への未練がないかのようなことを言ってるけど大丈夫?
ああ、岩戸家の実家は九州ではないのか。
なるほど〜。原発事故で立ち入り禁止になった区域にも「かつての風景」がある。
この子、本当に自分から命を捨てるようなことを言い出したぞ?
大谷海岸は宮城県。
「環さんが屋根伝いにこちらに走ってくる」の部分で、忍者のように屋根の上を走る環さんを想像してしまった(笑)
雨を避けて屋根のあるところを移動するという意味ね。
28から12年……鬱憤も溜まる……
長距離運転させられた上に、知らない場所で二十近く年上の知らない人に泣かれてる芹澤はかわいそう。
運転手がよそ見したらそりゃ事故るわ!!芹澤が今度は置いていかれた。まさか彼の成長が描かれるとは。
実家も廃墟か!津波の被害に遭った範囲。
もう直截的に震災のことが書かれますね。やはり「仕事中の事故」で死んだというのは嘘か。
常世~後日談
爛れたように甘い匂いは何の匂いだ?? 現世への出口である後ろ戸が複数あるだけで、ミミズのいる常世は一つという認識で合ってる? 人によって常世の見え方は違っても。
おお、そういうこと!この夢の「お母さん」はぜひ映像で確かめたい。 常世での昔の自分との対話は、ちゃんと新海作品の好きなやり取りだった。
後日談で特に謎が明かされたりはしない。この六日間で鈴芽の何かが変わって、日常へと戻る。
あとがき
気になっていたことが書いてあった。直接被災したわけではないが、やはり強烈な出来事だったようだ。 知人や仕事、生活環境への影響はあってもおかしくない。 「なぜあの人が。なぜ自分ではなく」から察するに、よく知った人が亡くなったのかもしれない。 それに40代にもなれば当然、災害に限らず人を亡くす経験は積み上がっていくだろう。
個人的にはもっとこじんまりとした世界の話も見たいのだけど、自覚して今の路線をやられているなら、変えてほしいとは言えない。 いっそ短編作品でもいいから、一度エンタメのことを忘れて作った方がいいのではとも思うけれど、答えの出ない問題だとしたらそれでも解消はできないのかも。
おまけ
初報時の印象ですが、「戸締まり」をテーマにするって独特で流石だなと思いました。
コンスタントに映画を完成させているのも凄い。3年ごとに新しい作品を観れるのはありがたい。
それと今回、英語のサブタイトルはないのかしら。Wikipediaには英題が「Suzume」とあるけどホントに?!
この物語は、タイトルの通り鈴芽の物語だった。「すずめの、戸締まり」。
鈴芽が要石を抜いたことで始まり、周りを巻き込んで東北の実家まで行くことになり、最後に幼い自分と向き合って終わりを迎えたのだから。
結果として自分探しの旅のようだった。
すずめの戸締まりを通して、各々が自分と向き合うことになるのかな?あなたにはあなたの戸締まりがあるのかい?
「後から聞いた話」として鈴芽の視点で統一されていることにはきっと意味があるのだろうと思っていたけど、最後まで特に理由付けはなさそうだった。どうしてわざわざ統一したのか不思議。
鈴芽が関わったことは、閉じ師にとっては良かったのかどうか。
今回の事件に関しては鈴芽のマッチポンプ感がある。鈴芽が要石を解放しなければ、草太が普通に全国の扉を閉じてまわれただろう。
一歩間違えていれば、鈴芽のせいで町が大惨事に、なんてこともありえた。
それに、ずっと偶然に助けられて旅が進んでいるように感じられる。
「このラッキーが無かったらどうしたんだろう」と思うことが割とあった。
道中の移動もそうだし、観覧車の上など危険なことをして無事に済んだのもギャンブルとしか言えない。
鈴芽と草太のお互いへの感情は、改めて考えても分からない。 恋心として理解するには期間が短すぎる。 草太も何かを抱えていて、それが鈴芽との旅で救われたのだろうか。
ダイジンが戸締まりを助けてくれたのは、自分を要石から解放してくれたから?でも、草太を要石にしたってことは一概に助けてくれたとも言えないか。 シンプルに最初の「すずめ やさしい すき」と「おまえは じゃま」が理由なのかな。 要石の役割を草太に押し付ければ、鈴芽といっしょにいられると思った?
小説を先に読んでいると、挿入歌がどこに入るのか予想がつかない。 これまでの作品では映画→小説の順だったので、読書中その場面で脳内に音楽が流れることもありましたが。