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【ネタバレ注意】週刊少年ジャンプを中心に、ふれた作品の感想をたくわえるブログ。

すずめの戸締まり

2022年公開
新海誠監督、第8作目の映画。

真の初見はこちら→ 小説 すずめの戸締まり - 感想SPACE

本編

開幕から草むらに紛れるような視点で、その時点でもう自分の想像力の貧弱さを感じた。 小説を読んだときは、ほとんど俯瞰で想像していたから。
タイトルの出方も素敵。
全編に渡ってカメラのアングルや動き方、人物の細かい動きに自分の想像以上のディティールがあり、映像で見れて良かったなあと思いました。

序盤からテンポがいい。ミミズの登場も早く、すぐに脳みそをファンタジーに切り替えられる。
そして、ミミズが想像の5倍くらいデカかった。「これはヤバい」と一目で分かる大きさ。 あんな町をすっぽり覆うほどとは思わなかった。 東京でのミミズの巨大さにはもはや諦めすら感じた。

君の名は。』や『天気の子』のBGMが流れていて(後者は気付けなかったけど)、そういうファンサービスもあるのかと思った。 曲自体が場に合ってるなら全然やっていいと思う。
地震速報、警報の音の臨場感は映画ならではだと思った。 それと、椅子が走るときに鍵がチャリンチャリンと鳴るのが良かった。あの面白さを文章から想像するのは自分にはできない。
後ろ戸を閉める音はガチャンとした重い音ではなくキラキラした音で、気持ちよさはそれほどなかった。 鍵で言うと、家の玄関だけでなく自転車の鍵も重ねて描写されていて、なるほどと思いました。

小説版との差異については、車窓から見える風景の省略が大きく感じた。あの部分も1つの力点だと思うので、まだの方は小説版をぜひ読んでみてください。
鈴芽が「お母さん」の正体に気付く場面でセリフが最小限だったのは外見で伝わるからかな。 映像がある分、回想の時点でお母さんの雰囲気が夢と違うことは伝わって、それが前フリになってるのかもしれない。 上着をリボンで絞ったこととかは説明があってもよかったなと思う。

東京に要石がある理由は関東大震災。小説版を読んだとき、もう一つの要石が東京にあった理由が分からなくてもやもやしていたけど、自分が鈍いだけでした。
そう考えると「神戸」に後ろ戸が現れたことも震災に寄せたのかな、とも思うけれど、「じゃあ宮崎や愛媛は?」となるのでその辺にしておこう。

花澤さんの出演にはびっくりした。芹澤の神木くんにはスタッフロールまで気付かなかった。オーディションを受けたんだろうか(笑)
芹澤はもっと体格がいい感じを想像していた。確かにホストっぽかったし、ボンボンっぽい。

巨大化サダイジンのアクションが普通にかっこよかった。 ファンタジー部分をノイズに感じることなく、純粋にカッコよさ・おぞましさとして楽しめました。

まとめ

小説を読んだ後の2周目で、「すずめの」物語として見るとめちゃくちゃ面白かったです。
鈴芽を見る周りの視線が終始「あの女の子やべー」だったので、個人的な物語として描かれているのは間違いない。 テンポがいいからか2周目だからかは分からないが、「行き当たりばったりじゃないか?」と感じる暇もあまりなかった。
二人の「好き」「救われた」はやっぱり分からなかったけど、まあそういうこともあるかくらいには思えた。

真正面から震災を描いているのが凄い。
この映画を観た人が、それぞれどのタイミングで東日本大震災を思い浮かべるのかは気になる。 序盤からの地震か、関東大震災か、帰宅困難区域か、東北へ向かい始めたときか、津波か、鈴芽の日記か。その他にもあるのだろう。
鈴芽が九州に住んでいるのは、日本を縦断するというロードムービー的な理由で設定されたのかなと思っていたが、 東日本大震災から離れた場所で生活しているということも重要なのかも。

新海誠の最高傑作」と宣伝されているけど、ああいうのはやめてほしいなあ。 制作者がそう自負するのは構わないが、まだ公開もしてない時点で使っていい宣伝文句じゃないと思う。
一方で、そう言いたくなる気持ちも少し理解できる気がする。 社会的な出来事を直接扱っているから、これを推すことに他の映画のときにはなかった正当性が付加される感じがある。

新海誠

「少女の成長物語を描くために」女性を多く登場させるのは、なるほどと思った。 確かに彼女たちが女性であることが、鈴芽の将来の姿を考えさせるかも。

「「椅子にされてしまった相手との恋」ということが重要」なんだ。そうなんだ。恋愛要素の一番の核になっているであろうコンセプトを読んでもピンとこないのはどうすればいい。柱としての「切実なラブストーリー」に共感できるのはいつになるだろう。

「終末後の映画」という視点で見ると、過去2作との違いが明確に感じられるし、その変遷が面白い。 終末をなかったことにした、回避した『君の名は。』と、終末が訪れて終わった『天気の子』、そして今作という順番。 「厄災がどうしようもなくべったりと日常に貼りついている」というのも、「今」のリアリティがある。

タイトルは結構アドバイスを基に決めているようで意外だった。
震災当日は『星を追う子ども』の制作作業中。コロナ禍の始まりは『すずめの戸締まり』の企画中。 そういう時代感。

キャストの何人かは実際に震災の記憶がなく、観客の30〜50%は震災を連想しないという想定らしい。 予想以上に多い想定だなと思った。分析した上での結果だろうから、おそらくそれが正しいのだろう。 メインターゲットの世代が大きく影響しているのだろうか。
監督もやはり最初から震災を扱うことを覚悟して作っている。

主演2人との鼎談で「大事な仕事は、人からは見えないほうがいいんだ」について語っている。
映像や音のチャレンジに関しては、観ながらも感じた。「これ新しいな」と思うことが何度かあった。 具体的に思い出せなくて悔しいけれど。

おまけ

試写会か何かの際のネットのまとめで「震災表現がエグいから注意」とあった。 確かに、小説版に比べると音と映像の力でその辺りのパワーが増している。 インタビューで答えられているような「場所を悼む」というテーマは、小説版の方が吸収しやすいかもしれない。
ただ、映画の制作に関わったであろう膨大な数の人がいて、その人たちを通して公開までたどり着いたのならそれほど心配しなくてもいいのかな、という気はする。

今『天気の子』をもう一度見返したい。